すけづぅる。

 最近スケジュールを記録している。とは言え手帳を購入したわけじゃなくて、ただiPhoneにデフォルトで入ってるカレンダーアプリに予定を書いてるだけなんだけどさ。それだけとはいえ、忘れっぽいくせに今まで適当に生きてた俺に革新が起こった。今までどうやって生きてたのって過去の俺に聞きたいね。そして何より簡易日記というか、その日何したかの記録になってるから見返すと面白い。この日はこんな事があったな〜とか、文章として残してなくても思い出せるものなんだね。

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 あ、あの、俺の日記にオチとか求めないで下さいね。

解脱。

 もうなんかどうでも良いやーって思って体験版のACVやってました。お金の持ち合わせが無くて予約をキャンセルしてしまったけど、それを後悔する程の面白さだった。ガチガチの重量系を組んでも壁とかピョンピョン飛んでいけるから爽快感がある。多脚とタンクではやってないんだけど壁蹴り出来るのかな。あとロボット物に藤原啓治さんは反則。格好良すぎる。

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 今日さぁ、一歩も外出てないんだけど。書く事ないんだけど。それでも毎日書いてるのは文章力が上がったりするんじゃないかなっていう希望的観測と、最近日常がガラリと変わる出来事があったからで、毎日こうやって思う事を書き留めておけば見返した時に面白いんじゃないかなって思ってる。昨日の日記とか最高だと思うよ。ありのままの俺が記録されてる。「さらば人類!」とか「じゃあね地球!」とか「楽しかったよ現世!」とか言い始めたら大抵俺の精神は限界ギリギリ。昨日はヤバかったんですね。

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 髪が伸びてきた。前回はクリスマス前くらいに美容室に行った覚えがあるから、かれこれ一ヶ月は経ったのかな。一ヶ月単位で切らないとまずい俺の成長速度。伸びすぎて前髪が眼鏡に乗っかってアウトサイドに道を外れちゃってる。前から見ると『八』みたいな。フランス紳士のカイゼル髭みたいな。あと癖っ毛で量が多いからボッサボサになる。金田一耕助みたいな。タイムリーな例えするならラーガンみたいな。もうさ、本当ボリュームがすごいんだって。売りたい。グラム単位で売りたい。髪の質や太さをしっかりと調査した上で厳正な査定をして買い取って頂きたい。金持ちになる自信、ある。
 今行ってる美容室は最寄り駅にある安いチェーン店で客層の殆どがマダムもしくはマダムだった人で占められている。いわゆる美容室が持つオサレ感は全然無くて俺みたいなキモオタでも行きやすい。かれこれ中学生くらいからずっとそこ。一時期はずっと担当してもらってたイケメンのお兄さんが他の支店の店長にランクアップしてしまいまして。俺の目の前から居なくなっちゃったからしばらく行かなくて(人見知りだから)、母親に切ってもらってたけどそれがあまりにもひどくて。本当にひどくて。いや、まぁ妥協は出来るレベルだったよ。で、意を決して舞い戻って来たのが高校生の頃。今の担当さんは笑うと目が無くなっちゃう綺麗なお姉さんなんだけど、その人が良い意味で年齢不詳。25歳って言われたら信じるし、30歳って言われたら驚きつつも信じるし、35歳って言われたらテレビ番組に美魔女として応募しちゃう。でも俺が高校入った時からずっとその人だから、最低でも会ってから5年は経ってるんだよな……。いやー、女の人ってすごい。

たいだ。

 昨日の日記はひどいね。深夜2時とかで眠気絶頂で生きるか死ぬかで書いたからかなって言い訳。

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 今日は特に書く事がない。強いて言えば心が揺れる出来事が無かった。ただぼんやりとしている。そんな日は大抵授業を真面目に受けた日だったりする。帰りは友人が運転する車に乗り、就職の事とか話しながら真っ直ぐ進んで、お腹が空いたから二人で中華系の定食屋に入った。彼は生姜焼き定食を頼んで、俺はサンラー麺を頼んだ。とても好みの味をしていたが、胃腸が弱い俺は辛い物を食べると次の日下す。とは言え美味しい物を食べたい欲求は刺し込むような腹の痛みよりも勝る。俺はそうして何回も腹を下してきた。そしてこれからも、俺は腹を下すだろう。
 友人が勘定を持ってくれたので、俺は彼がいつも吸っている銘柄の煙草を買い、渡した。彼は俺によく奢る。俺の方が年齢的には下だからだろうけど、少しこそばゆい。その後友人はバイトに行き、俺は帰路に着いた。もう書く事ないや。おわり。

渋谷のTSUTAYAの床。

 俺は生まれて以来一回しかゲロを吐いた事がない。その記念すべき一回は小学生の頃、身体のダルさと節々の痛みを感じながら朝起きて、一杯の牛乳を飲んだ途端にゲロんちょした。後で熱を測ると高熱だった。多分胃の中でタンパク質が固まってしまったんだね。で、それがトラウマなのか分からないけど、どんなに酒に酔っても吐いた方が楽だよと皆様に散々言われても吐く事が出来ない。結構キツい。胃が「吐けよ。吐けば楽になるぜ」と何度も何度も囁いてるのに「はぁぅ〜……ダメだぁ、吐いちゃダメだぁ、怖いよぉ、吐くの怖いよぉ〜〜〜!?!?」って泣き言を言う僕の精神。そんな状況でラーメンを食べたりするから帰りの電車とかマジ地獄絵図。友人曰く、紫色した笑顔でつり革を掴んで固まってるそうだよ。ははっ、はははっ、全然覚えてねぇや。

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 服装に無頓着な俺。強いて言えばエスニックとかアジアンが好きなんだけど、そういうショップに売ってる冬服ってすっげーダサイの。だってそういうファッションを常用的に着用している方々が居る国って冬が無いんだもん。だからエスニック・アジアンファッションの冬服ってすごいジャパナイズしてて、説得力が無い。そういう服には魅力を感じないんだよね。だから冬服は超適当。たまに親父のお下がりとか。って事を最近「先輩って最近アジアンな格好しませんよね。目が覚めましたか?」って言われて考えた。うん、まぁ、ね。アジアンな格好、夏はすっごい涼しいよ。本当は湿気がある日本には相応しくないらしいけど「夏だなぁ!」って全身で感じる事が出来るからアジアンファッションは好きです。あと薄着になる夏でも体型を隠せるデザインが多くて助かるブー。ブヒブヒ。フガッwwwww

 

ブラジャー。

 女に「フロントホックブラとは何か」と聞くと「前でつけるブラ」と答えるが、男に「フロントホックブラとは何か」と聞くと「前で外すブラ」と答えるように、物事には常に二面が表裏一体で存在していて片方だけを頭ごなしに否定する事は愚かだって最近気付いた。

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 サソリって最凶最悪のフォルムをしていると思う。左右から伸びる鋭い鋏、太く逞しい尻尾の先からほとばしる毒液。なんか下品な表現が混じったけど、そういう事だと思う。一目見た瞬間「あ、俺はここで死ぬんだ〜〜〜」と有無を言わさず思わせる説得力がある。あと何か常にエビ反ってるのがヤバイ。虫(だよね?)のくせに成人男性の数倍ものマッスルを感じるあのポーズ。「毒なんざなくとも刺し貫いてやらぁ!」って意気込みを感じる。でも見た目でここまで怖がらせてくれるからまだ良いかもしれない。だって柴犬が毒持ってたら俺の命はいくつあっても足りないもん。あー、柴犬だー、かわいーかわいー、なでてあげよう、なでなでなdギャァァァアアァァアァアァァー!!!ってなってあっという間に残機ゼロ。人生はノーコンティニューなのに。柴犬が毒持ってなくて本当に良かった。

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 一週間前くらいかな、フリスクを自分の部屋でぶちまけたんですよ。別に特別な比喩って訳じゃなくて、ただ単に何粒入ってるのか確かめたいからパカッと開けてやろうと思ったの。でも力の加減が出来なかったっていうか、案外固くて、バキッとやってしまった。フリスク、バキッ、ピシャーン、みたいな。床に散らばるわ、机の上にも散らばるわで大変だった。ムシャクシャしたからかき集めて全部捨ててやった。で、一週間経ったんだけど、ちょっとモニターの角度変えたらポロッとか出てきてすごいビックリした。「へー、最近の台湾製のモニターはフリスクを作る機能ついてるのかぁ」とか一瞬真面目に考えた。で、今も足元を這いずりまわってる配線を蹴飛ばしたら出てきた。フリスク。なぁ、お前どうなってんの。

幼い頃の記憶って適当だな、ってお話。

 僕が幼稚園の頃だったか。親父が知らないオッサンをボコボコにしていた記憶がある。車に残された僕と弟。「大丈夫よ」と頭を撫でる母。僕の記憶の中では母は少し怯えていて、母をこんな気持ちにさせる父親は嫌いだなぁと思っていた。
 時は流れ、僕が善悪の区別が出来るくらいの歳に何気なくその時の記憶について話してみた。母は僕に語った。家族でドライブに出かけていたのに後ろから煽られて「大切な家族が乗ってるのに事故ったらどうしてくれるんだ」って親父がブチ切れた、ってのがその物事の顛末だそうだ。発端が発端だけに、ボコボコにされたオッサンは被害届を出す事もなく、親父は軽く警察に怒られた程度で済んだ。これについて他人がどう思うかは知らないが、僕は親父を誇らしく思った。だって、家族を守ろうとしたんだから。
 だが、その話を横で聞いていた父の言葉が衝撃的だった。「いや母さんの方が凄かった。そのオッサンの車にも家族が乗っててな、ボコボコになった自分達の父親を見て泣いてたんだ。で、その家族に向かって『てめぇのジジイが先に喧嘩ふっかけたんだろ! ピーピー泣いてんじゃねぇ馬鹿野郎!』って言ったんだぞ」そんな事もあったわね、と笑う母親。

 どうやら僕の記憶の中で怯えていた母親は、幻想だったらしい。